努力を人に見せることはナンセンス
魅力あふれる人間になるためには、当然努力は必要だ。
しかし、そういった努力は他人には決して見せることなく、隠れて行うべきである。
人には絶対に知られてはいけないのだ。
美しい水鳥たちも、湖に浮かぶ姿はとても優雅だが、見えない水面下では足を一生懸命バタバタと動かしているのだ。
あなたも水鳥たちのように、表面では優雅な姿を見せ、見えないところでひっそりと努力できる人になろう。
いたって普通の男が、EXILEのような服に身を包み、おしゃれな美容室に行って、EXILEのような髪型にしてもらう。
そのままEXILEのようなサングラスを買いに行き、憧れのEXILEに近づこうとすればするほど、一層ダサくなっていっていく。
(「オレは絶対性格悪くない!」太田出版、34ページ)
有吉さんが述べているようにかなりダサい。
しかし、それは必死にEXILEに近づこうと努力しようとする姿が見えているからで、もし、そういった姿を全く見ずに、目の前にEXILEに似た男性が現れたら素直に「かっこいい」と思うだろう。
私たちは努力いていることを誰かに知ってもらいたくて、ついつい話してしまいがちである。
「私ダイエット頑張っているの」
「毎日ジムで2時間身体を鍛えているんだ」
「私は教養のために本をこんなにたくさん読んでいるの」
そういう努力は確かにすばらしい。
ただし、それを周りの人に知られなければ。
努力というものは努力を知られてしまうとダサいと思われてしまう可能性が高い。
アメリカのカンザス大学のアレクサンダー・ショーマン氏は、以下のような実験を行った。
ジャニンという架空の女性のプロフィールをつくり、100人に読んでもらったのだ。
そのプロフィールには2種類が用意されており、ひとつは「ジャニンは若く見せようと努力している」という記述があり、もうひとつには努力しているなどという記述は一切入っていないものだ。
この二つのプロフィールを読んでジャニンに好感を持ったのはどちらだっただろうか。
結果は、当然努力を伏せているほうのプロフィールだった。
努力をしていることが記述されているプロフィールを読んだ人たちは、ジャニンに対していい印象を持つことはなかった。
自分を磨くための努力はすばらしい。
おしゃれだって、若作りのためのアンチエイジングもとことんしたらいい。
しかし、その努力は決して他人に知られてはいけない。
それがバレると、むしろ悪印象を与えてしまいかねないのだ。
湖に浮かぶ水鳥のように見えているところは優雅に、見えないところで努力しよう。