人間関係は打算でもよい
ある考えでは、人間の本質とは美しく清廉潔白であるという。
そのような考えを「性善説」という。
一方で、「性悪説」といい、人間とはもともと悪魔のような性質を持っているという考えがある。
人間関係においては、性悪説の立場をとっていたほうがいいだろう。
なぜなら、「本来人間とは美しいものである」と思っていると、実際はその期待を裏切られたときのショックが大きいからだ。
「人間なんてもともと美しくないものだ」と思っていれば、裏切られたときのショックは少なくて済む。
そして、現実は期待を裏切られてしまうことのほうが圧倒的に多いのだ。
どちらのほうが気持ち的に楽かは明白だ。
当然、有吉さんの考えは「性悪説」である。
そして、有吉さん本人が性悪説を体現していることも、以下の発言から読み取れる。
僕、「人間的にかわいいからこの人と付き合おう」とかないんですよ。「お笑いとして今後こいつは使えるな」とか「こいつが売れた時に便利だから」って打算でしか後輩と付き合わないんです。(「オレは絶対性格悪くない!」太田出版、133ページ)
有吉さんは「自分の利益に使える」という理由で付き合う相手を決めているという。
「そんなことは、心の汚い人がやること。」と感じる人もいるだろう。
しかし、私たちも大きさに差はあっても、そんな打算を考えて付き合う相手を決めているのではないだろうか。
「打算で人付き合いをすることはよくない」という意見も十分に理解できるが、実際の人間関係の中で、全く打算がないことなどあり得るだろうか。
いや、むしろ人間関係の大半が打算であると言っても過言ではないだろう。
このように割りきって考えていたほうが、精神衛生上いいと思う。
ただし一般の人は有吉さんのように「私は人間関係を打算でしています」などと公言しないでもらいたい。
胸の内では打算の気持ちがあったとしても、それは絶対に胸の奥底に秘めておこう。
なぜなら、「あなたとは打算でお付き合いしています」と言われれば誰だって嫌な気持ちになるのだから。
アメリカのコロンビア大学のダニエル・アメス氏も、打算で付き合われていることを知ってうれしい人などいないことを指摘している。
打算や下心は絶対に隠しとおすべきなのである。
打算の気持ちがあってもよいが、表面上は打算などないように振る舞って見せ、必要以上に人間関係に波風を立てないようにしよう。
人間関係は「自分にとって使えるかどうか」で決めよう。